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アーティストは喰えないという幻

「アーティストは喰えない」んじゃなくて

 

 

「アーティストやってる【私/俺】が食えてない」だけ。

 

 

視点をマクロにすればするほど外界にそれらしい理由を見つけることはできる。

 

 

やれ日本には審美眼がないだとか

やれ日本にはアートに対する習慣やら器がないだとか

資本主義経済において富裕層が富を独占しているからだとか

アメリカでのライブハウスはノルマ課さないのに〜だとか

 

 

 

わかる。

きっとある意味それも一理ないことはないのだろう。

でもそれは

あなたが/誰かが「それを理由として取り入れた」だけで真実じゃない。

あなたが/誰かがそういう世界観で生きてるだけ。

 

 

あなたが「ほんまや」と思いそのメガネで世界見てるだけでしょ。

 

 

ちなみに私にとってはそれらが事実であろうがなかろうが関係ない。

審美眼がないって言われてもあるってどういう状態?と思うし

習慣やら器がないと言われてもよくわかんないし

資本主義におけるなんたらに関してはもう難しすぎて何言ってるかわかんないし

アメリカのライブハウスはノルマとらないとかいうならノルマとられないハコでやれば?だし、なんならノルマとられない技術ある?人気は?どっちもあるなら交渉したら?と思う。

てゆかじゃあアメリカ行けよとさえ思う。

ここは日本。

日本のシステム変えようという意気込みに夢を持つのは素晴らしくともグダグダ管を巻くのは全然お門違い。

建設的に行こうぜ。

 

 

外界に理由探して

それっぽい理由探して

そうだ!って言うのは

あなたの世界観でしかないのになー。

 

 

だから

アーティストは喰えないは幻。

ラーメン屋は喰えないも幻。

今更ヒーラーは喰えないも幻。

アーティストやってる

ラーメン屋やってる

ヒーラーやってる

俺or私が喰えてないてだけ。

終了。

 

 

外界関係なく

「私はこれで喰おう/生きよう」と思うところからしかなんも生まれないはず。

アドラー三角錐

「可哀想な私/悪かったあの人」の後ろに隠れてる第三面。

 

 

「これからどうするか」

 

 

これからどうするか、しか僕らにはない。

世界は容易く変わる。

アーティストが喰えないなんてのはただの幻。

インディーズミュージシャンが喰えないなんてのもただの幻。

 

 

外界はもちろん

なんなら自分達の中にだって

それっぽい答えしかない場合もある。

でもそれらは「それっぽい」だけだから。

難しいことを理由に挙げれば「仕方がない」と諦めて文句言うだけですむから、てだけでしょう。

 

 

最後の最後は

「じゃあ私は/俺はどーしよう」しか残らないはず。

本当の本当に本気の人なら

愚痴を言う暇さえ【本来は】ないはずだわ。

それをわかってるかわかってないかで切り替えは早くなる。

 

 

私たちは死ぬのよ。

グズり【続ける】、そんな暇どこにあるっていうの?

くらいの気持ちでいたいわけ。私はね。

 

 

そして多次元的に物事を捉えられる人ならこれがアーティストやインディーズミュージャンの話ってだけに留まらず「自分のことだ」として噛み砕くことが出来るはず。

 

 

これは「アーティストは喰えない」という表面的な外界の言葉/解釈ではなくてあらゆる人に共通することだと思ってる。

 

 

外界の理由に愚痴ってもいいけど

あなたは死ぬ。

内なる自分の未熟さを愚痴ってもいいけど

あなたは死ぬ。

 

 

それを本当に【腑に落としている】ことで僕らの行動は変わり、僕らの世界は変わるはずよ。