美しいというのは発光しているということ

昨日大天使5名様を我が家に迎えました。(←唐突)

どうもモクさちよです。

 

 

1/28の水瓶座新月が近くなるにつれ、私の月末はインフルエンザ時の停滞は何処へやら、また色々賑やかになってきています。皆さんはインフルエンザになってないですか!←

 

 

さてそんな先日、今年冒頭にブログにも書いた「私の世界で一番の美女」と会ってきましたよ。

 

 

去年バーレスクショーでダンサーとして出会い、今はフリーランスでイベント出演やモデルをこなし、プライベートではお着物やポーセラーツなど多彩に嗜む、サキさん◎

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(ま、まぶしい...!)

 

 

ランチ中私はずっと「エルメスを目の前にした電車男」のごとくずっと日本語になっていない日本語で「う、う、う、うつくしいですね!」と連呼してました笑。男だったら完全フラれてたわ。

 

 

今年2017年は彼女に手取り足取り「美」について、そして「ファッション」について教えてもらおうと思ってるの◎会うだけで刺激されるなんて本当にいい人と巡り会えたなあ。私キテるわ。

 

 

そして彼女を目の前にして思ったこと。

「美しい」というのはもうどこまでもそれだけでありがたいなぁってこと。

「可愛いは正義」って言葉があったけどあれホンマやなと思うもん。

 

 

そして同時に

この「美」っていうのはつまり「発光」なんだなぁと感じさせられた。

自らが発光することが美しさになり

自らが発光することが神々しさになり

自らが発光することが更なる波及を生む。

 

 

「道が暗いなら、自分を輝かせて光となりなさい。

その光は誰かの光にもなる」

 

 

小学校からステラマリス(=海の星/聖母マリア様)を信とするカトリックの女子校で学んだけど、彼女を見ててそんなことを言われたなぁと思い出していました。

 

 

道が暗い。

未来が暗い。

今が暗い。

気持ちが暗い。

そんな時は120%自分が輝いていない=発光していない時なんでしょうね。

職場が暗い。

家族が暗い。

恋人が暗い。

全部同じなんでしょうね。

自分を輝かせる、という表現はありきたりなのですが

自らがただ発光することでそれは自らの光となり、誰かの希望にもなる。

 

 

そしてふと、昔恋人に言われた言葉が胸から湧く。

「さちよは俺にとっては夜中の汽笛みたいなもん。夜行汽車でふと目が覚めて孤独を感じても、汽笛が鳴ったら自分が在るってわかるでしょう。安心する。1人じゃないって思うんだ。」

 

 

あの頃の私のように、今の私は

誰かの汽笛に/誰かの光に/誰かの希望に

なれているんだろうか。

 

 

美しくありたい。

強くありたい。

優しくありたい。

それらは全て「自らを発光させる」ことに集約するのかもしれないですね。

 

 

そしてきっとそれは

誰かの暗い夜道を導く光になり

孤独を癒す汽笛になる。

 

 

2017年が終わる頃

私がどんな布を纏い

どんな言葉を発し

どんな顔でコロコロと笑っているのか

そしてその光が誰に届いていって

受け取ってくれた誰と共に在るのか

楽しみです◎