知性を持つ者

どんなに知性を持っていようともそれが知識量の範疇に止まり/進んで行ったとしても博識であるという状態に止まっているだけでは、その真価を自分や他者のために使うことはできない。

 

 

知性とは知識の量ではなく

知性とは博識という状態ではない。

知性とは自分には出来るが他者には苦手らしいというズレすら見極め、その溝を埋められる言葉や行動を持つということ。

その「本質的なことを見定める感覚」をもってこその知性。

その感覚とは何においても応用可能な、いわば自立と自律を支え、for meはfor youであるが腑に落ちていて、さらにそれを行える人が持つ。

受け取り結んで増やして繋いでいける人が持つ。

 

 

「自分が小さな子供に説明出来ない事柄は、まだその本質まで理解できていないという範疇に在る」と私は考える。

全てはただシンプルで

言葉数を持たない子供達にも説明は可能なのだ。

きっと本来はね。

 

 

答えとは

左脳/思考/今までのデータを使うと「出す」

右脳/感覚/ヒラメキを使うと「出る」

という表現がしっくり来るなぁと最近では思う。

あまりこの表現は好きではないけど「降ってくる」「降りてくる」とも表現する人はいますね。

ただそれが本当にその温度かは言葉尻を見れば/降ってきたという答えを見れば/それを話す頬の強張りや声のトーンを見れば一目瞭然。

都合よく綺麗な言葉や最もらしいそれを並べているだけか否か。

ポジティブの上塗りか。

自分への言い聞かせか。

それとも自分で戸惑うくらいの、だけど「あぁそうだった」という、とても自分の中と外がしっくり来るものか。

その判断は自分の中に最初から備わっている。

 

 

ちなみに他者が紡いだ言葉について「その通りだ」なんて賛同したとしても「紡げる人」というのと「紡がれたカタチに賛同する人」というのは時に雲泥の差を生む。なぜなら本質的なことを他者の言葉から受け取れる人は、またそれを繋いでいけるからだ。

りんごについての説明を「頭でのみの理解」しかしていない人間は「自分の言葉」でそれを紡げない。

ポイントはまさに「腑に落ちている」というカラダでの理解。

脳味噌でする行為ではあっても本質的なモノを腑に落ちて理解した時に「腑に落ちる」という表現/日本語はなんとも言い得て妙だと感動せずにいられないくらい。

 

 

私はそれらを為せる「同じ匂いがする人」というのに「同じ感覚かどうか」というサーチアンテナを使っていたけどもう1つ最近では必要であったとわかりました。それは「精神性」

 

 

精神性が高いと表現すると低い=NGというイメージ/誤解を持たれてしまいそうなのであくまで「精神性の位置」と表現することにします。それは高さの他に左右の幅や前後の奥行きを持つ「空間的」に把握されるもの。

 

 

この位置が似ている人が好きだ。

もしくは私がリスペクトできる位置にいる人が好きだ。

彼らは拙くて頼りない、それでも唯一とも言える「共有のためのツール=言葉」をもってしても「どこに主文があり、どこに温度があるか」を察知してくれ、その整合性を高く認識を共有できるから。

最もそれが100%の整合性を持つことはないけれど。

なぜなら100%の整合性を持っているという証明だけは120%不可能であるから、と私は捉える。 

 

 

先日VOGUEのしいたけ占いというめちゃくちゃあたる占いをされる「しいたけさん」がブログを始められたと聞いたので覗いたらたまたま新記事が「巫女系列の人」とあり、その中の「知的に尊敬出来ない人から命令されるのがストレス」という一文に吹き出してしまいました。私からしたら誰もがその側面を持っていると思ってはいるし、なんなら「知的に尊敬出来ない人が私の視界に入るだけでストレス」を感じることもあるけど。

 

 

そしてその「知的に尊敬出来る」というのは先述したような「知識量と本質的な感覚/精神性の位置が似ている/もしくは私よりも深く大きな位置にあり、それをちゃんと表現できる人」

知識量も

精神性の位置も

そして何よりそれを表す表現力としての言葉を扱うスキルも揃っていないと

私みたいにまだ未熟な存在はなかなか匂いを判断できない。

だからこそ

優しい知識があり

優しい精神性の位置に在り

優しい言葉を紡ぐ人が好きだ。

しかしその最後の言葉の優しさとは温度を持つそれで「捉えようによって優しさとなる」という変化性は持たない。

それらはただただフラットに暖かくて耳心地のいいそれでいい。

 

 

メンターと食事しました。

「全ての濁(ダク)は飲み込んだらまた器が広がるよ」と声をかけてもらったものの「その濁を飲み込み器を広げることに何の意味がありますか。」と聞くと「ははは。意味なんてないよ」との答え。先日からネガティヴ過ぎるエネルギーを受けて疲弊しがちな私はダークサイドに堕ちる寸前で「堕ちそうな私自身」を助けることもなくただ見ている。

さぁ、どうなるのかね、と手さえ差し伸べずに。

 

 

レイプというのは

犯されるというのは

精神的にもあり得ることだ。

自分の聖域を荒らされ

自分の大事なものを壊され

自分を自分で在らしめたものを壊される。

この痛みを生きていく限りは何周もすれば器を広げられるよと言われたとて、痛いのは痛く、辛いのは辛いのだから致し方ない。

そしてきっと、

逃げてもいい。

 

 

全てのことに意味はあって

全てのことに意味はない。

温度も色も持たないままにただ僕らは「透明に孤独」であり、ただ救いとしては全員が「透明に孤独」だからこそ「同じ」であり「孤独ではない」となる。

 

 

全員が孤独だから

同じ立場同士として

結束感がある、と言えば

伝わるかな。

 

 

だからこそ私は

伝わる人には伝えようと思うし

伝わらなくても伝えたいと思うけど

私の持つ言葉はまだ未熟な姿でしかなく

私は私の知るものしか知らないから私自身が未熟でしかないから

もう、私の範疇から越えた人には「どうぞ他の本を開きなすってくださいませ」としか言えない夜だってあってもいいわけだ。

要は「私は私のベストしか尽くせない」

それが気に入らないなら他へどうぞ。

あちらの水はもっと甘いそうです、隣へどうぞ。

 

 

ただまあもう片方の光の中の自分はほくそ笑む。

ただまあもう片方の未来の中の自分はほくそ笑む。

「それもまた最善。荒ぶらずにただ見ていれば繋がるピースは魔法のごとく。そしてその感情の波こそがこの地球(ホシ)の醍醐味だと自分で話していたではありませんか」と。

 

 

だからこそ

拙い表現ながら、私の言葉や音の中にある「私の持つ本質的な/そっと潜ませたあたたかさや信念」を優しく掬い上げ、汲み取り、それに彼らの息吹を足してまた新しいカタチとして繋いで下さる方に「どうか大きな存在の加護がありますように」と祈らずにいられないわけです。

 

 

ありがとう。

 

 

 

 

 

全てはただニュートラルに0に戻る。

だから安心しましょう。

時々怖くても/辛くても/悲しくても、残念ながら私達のストーリーなら「うまくまとまるように」出来ている。

全ては最善。

だから今は安心して揺らぐ自分をただ見ていなさい。

あなたが「私には誰もいない」と思ってもそれは私にも同じだ。

私にも誰もいない。

そして私にはたくさんの人がいる。

私達は共にただ「透明に孤独」で

「透明に孤独」同士だからこそきっとわかり合いたいし愛し合いたいのだ。

 

 

新月間近。

2016の終焉間近。

いらないものは新しいものに。

あたたかくないものはあたたかいものに。

すればいいだけ。

世界はシンプル。

そしてその判断基準は?

あなたの中にある。

あなたの中にしかない。

他の人の中にはない。

あなたはあなたのことは全て知っている。

何もわからなくても

何も他者に実証できなくても

「我 思う。故に我あり」とずっと昔にでカルトが話したように。

私達の世界は紛れもなく「自分だけが」創っている。

哲学でありBrain Fantasyであり量子力学

 

 

知性とは、

幼い子供にこそ1番

純粋なそれとして備わっている。

ごちゃごちゃ考えないで

人の言葉に感動ばかりしていないで

ただ自分にフォーカスし

本質的な我慢を知っているからこそ他者のそれを汲み取り

本質的な痛みを知っているからこそ他者のそれを汲み取りたい。

  

  

私達は

知っていることしか知らない。

相手の「その状態」を汲み取れる力があるなら

適した言葉選びを心がけたい。

もし私がズレを感じずにいられない彼らを「それでも愛したい」と望むのなら、だけどね。

私は聖人君子ではないから

「似ていない人の幸せを願わない」ことはないけれど

大事に抱き締めるのなら「似ていて好きな人」を抱き締めたいのだよ。

まだ未熟だからかもね。

 

 

ムスビ

フヤシ

ツナグ

簡単なことをさらりと為せる人達に出会えた私に「おめでとう」

そしてその存在である彼女達に「ありがとう」

 

 

彼女達。

もちろんあなたのことです。

ええ。

もちろんあなたの、ことです、よ。

そして女神を女神たらしめていてくれているであろう彼女達の周りの方々にさえありがとう。

 

 

明日の新月

生まれ変わりの、信念を持って。

濁はあなたに傷を残す。

この傷を負ったのは何故だろう。

そして僕らはどう生きて行きたいのだろう。

1番下には「信念」をまず広げてくださいませ。

愛を込めて。