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自分を壊すことを楽しむ~こんなにも穏やかにロックンロール~

me 自分クエスト

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杢です◎新月でしたね!いかがお過ごしでしたか?私はとんでもないプレゼントを授かりました。ここまでうまくいくと本当に不気味にさえ感じちゃいますwプレゼントを受け取って次のステージに来たんだなぁととても感慨深い。人生って面白いですね。

 

 

とんでもないプレゼント。それはなんだか今まで心の底で静かに燻っていたものを一気に、本当に一気にクリアに吹き飛ばしてくれた言葉でした。今までも、そして今この瞬間だって「わー、人生はやりたいことすればいいのかー」と思ってるけど少しテンションと温度が違います。絵文字にするなら

 

 

今までは

「わー!やりたいことしたらいいのかー!\(^o^)/」

今は

「わぁ~やりたいことしたらいいのかぁ~(*´ω`*)」

みたいな差。わかるかな?w

 

 

私いきなり本音を申し上げますとたくさんの人のことを心の奥底で無意識に実は見下し、馬鹿にしていました。ええ、無意識にではありますが、見下していたし馬鹿にしていました。自信家過ぎて慢心と過信の塊だったのです。

 

 

きっかけは「私もぱっかんした!」とか「俺もぱっかんしてる!」とか言う人の言葉を聞いて「いや、それは違うw」と思う人がちらほらいたことでした。ごめんなさい、正直言います、そういう人達がいてました。もちろん中にはリアルでお会いしたことないから実際のところが汲み取りきれない人もいるし、大前提としてその「ぱっかんという言葉が何を指すのか」は個人レベルで違うでしょうから気にはしてなかった/厳密に言うと気にしないようにしていたんですが、すこーしなんだか違和感があって。

 

 

わかるんですよね。言葉尻とか、表現の仕方とか、言葉の積み上げ方とかで。リアルで会った人ならほんの少しの顔の/目の動き、もはや大体は一目見ただけで匂いみたいなものでわかるんです。違う、って。

 

 

で、そういう「違和感を覚える人達」にリアルでもネットでも「そうじゃないよ!それはただのポジティブの上塗りなだけ!」と思う人もいましたし、「それはただ違う視点に気付いたというだけで私の言うぱっかん=メタポジションの会得とは違うよ!ぱっかんじゃないよ!」とか、ね、思ってました。うん、思ってた。

 

 

それこそ軽々しく「俺もぱっかんしてるわ~」なんて言われた日には「いやいやww大して自分を見つめてもないくせに軽々しくぱっかんとか言うな!100年早いわ!」とさえ思ってました。うん、思ってた。

 

 

自分をちゃんと見たのか?

曇りなくただ淡々と、辛くて情けなくて恥ずかしくて惨めになりながらでも自分の今のキャラ設定を見たのか?

その上で自分自身をやっと受けとめられ、他者との今までよりベターな距離感がわかって「好きに生きればいいんだ!」と自分を取り戻していたとしても

「好きに生きればいいよね!私不倫がしたいの!」とか言い出す。

なんだろう、わかってるようで全然わかっていないと【私が】感じるこの気持ち。

なんだろう、同じなようで全然同じじゃないと【私が】感じるこの温度差。

 

 

ブッダサイコパスの記事に【軽やかさで在る核をどう使うか】で【ブッダにもサイコパスにもなり得るんじゃないのかなと思う】と書いたように、【核は同じでもベクトルが違えば温度差は感じるもの】だとしてもそれ以上に【根本としての匂いの差】を感じるのは何故だろう。

 

 

もう一度言いますが「大前提としてぱっかんという状態が何を指すかが個人レベルで違っていたとしても」私はスルー出来なかったんです。

 

 

そしてその違和感は実は自分の奥底の奥底に在った、生まれた時からずっと在った、ある「燻り」が原因だとわかりました。それは【セルフイメージが高過ぎるが故に自分を過剰に特別視し過ぎていた】ということ。

 

 

巷ではね「セルフイメージを高く!」とか言われるでしょう?私もともときっとすごく高かったんです。傲慢に聞こえるかもしれませんがそれこそ「自分はタダ者じゃないと言葉に出してみる」なんてことは簡単でした。昔から実は自分を信じていましたから。なんだかんだ自分が大好きでしたし「私はタダ者じゃないな」と思ってました。本心で。だから心の奥底でほとんどの人のことを見下していたし馬鹿にして慢心していたんです。無意識にね。

 

 

私が半生を通して拗れた本当の本当の理由は「私はこんなにすごいはずなのに周りの反応が薄い」というギャップから来ていたものだってわかったんです。(マジ恥ずかしい)自分がちっぽけだから自信が持てないのではなく、自信はあるし私はすごいはずなのにそれがわからない周りの人間が理解できなかった。そして私じゃない誰かが賞賛されている、その意味がわかりませんでした。なんでわからないの?馬鹿なの?ってね、思ってた。(最低w)セルフイメージが高すぎるが故に周りの反応に納得できず「わからんならわからせたる!」と突っ走ったのが前名義:SACHIYOLiONの「NERVOUS ARTISTIC HUMAN 3004」の頃から。

 

 

セルフイメージが高すぎる

のわりに周りの反応薄い

意味わからん。なんでや。なんでわからへんのや。わからせたる。どうしたらわかるねん?売り上げか?知名度か?奇抜さか?歌声か?楽曲か?リリックか?わからせたるからついてこいよ、安心しろ、すげえとこ連れてってやるから。わからせたるから。私について来れば間違いないから。

そんな風に思ってました。そしていつしか「他人に承認されることでやっと自己納得がいく」という魔のスパイラルに陥りました。歌うことが苦痛になって当時のマネージャーには「いつかSACHIYOLiONがさちよを壊しそうで怖い」とさえ言われてました。私はストイックにその答えを【外に外に】求め続けたんですね。

 

 

この頃は【欠けたピースを埋めることを他人に求めて】ました。そして自己対峙を続ける中で【私は私でOK】として欠けたピースさえ自分で埋められパズルは完成したのに/世界の見方さえ変わったのに今度は【完成したパズルを認めてもらいたい】とまた外へ力が/意識が向いていったんです。そう、自分というパズルが完成したかしてないかは大きな差だけどやってることは同じだったの。そこの精神性は同じだったの。外へ向かう力が強くて「素晴しいのよ!見て!!」という精神性。

 

 

「褒められないと居場所がないから褒めて」ではなく「褒められるのに値するんだから褒めなさい」という稚拙な精神性。

 

 

そう、結局ねぱっかんしてからも同じでした。周りの「身軽さ」を欲しがっているらしい人と比べ、特になんのセミナーにも行かずに感覚を得られた自分は【他の人より上なんだ】と思ってたし【ナリさんもはるちゃんもトリプル女神も性愛のみっちさんもともえさんもあんなに全出ししてるのにわからないと言う人がわからない】と思ってました。(マジですいません)

 

 

実際ナリさんに聞いたこともあります。「なんでみんなわからないんですか?」って。ナリさんは「色んな人がいるからねぇ~」とだけ言ってました。こんなにシンプルに書いてくれているのにわからない人は馬鹿なのかな?いや馬鹿なのかな?って言っちゃうと、それはジャッジしてしまってることになるから馬鹿でもいい/わかってなくてもいいとして考えてみよう。うん、そだね、どっちでもいい。馬鹿でも馬鹿でなくてもどっちでもいいけど...じゃあなんだ?私が特別?意味わからん。でもまいっかどうでもいいや。私はわかるし。と思ってました。

 

 

でも【現実自体】は身軽になった今もなんら変わりはないわけです。私がわかろうが/悟ろうが/わかった気になってるだけであろうが/悟った気になってるだけであろうが【セルフイメージが高いが故に「もっともらえるはずなのに」もらえないと感じる】という現実も、そして未だにそんな稚拙な精神性だったことも変わってなかった、ということに気付いたわけです。

 

 

そこに気付かせてくれた新月のプレゼントというのが【増上漫】という言葉でした。

 

 

定義的には

1:まだ完全に悟りを開いていないのに、悟りを開いたと思って驕りたかぶること。

2:実力もないのに自己を過信して思い上がること。

とあります。

 

 

そう、ただ私はシンプルに/こんなにもシンプルにただただ【実力がない】にも関わらず半生を通して【奥底で傲慢】であり【謙虚でなかった】んです。【本当はただどこまでもエゴイスティック】で【みんなに自身の価値をわからせようとして思い上がっていた】んですね。

 

 

な、さ、け、な、い。デス。本当に。

 

 

でもね、気付けてよかった。気付けてよかったと思ってます。思えています。なかなかのダメージでしたが....涙。本当に腑に落ちて体感したから、もう手放せます。図星過ぎて情けなくて恥ずかしかったけどちゃんと気付けたから、手放します。慢心を。過信を。

 

 

7月4日の新月のプレゼント。私がもらったのは【実力がないくせに傲慢でいた自分自身との決別】だったみたいです。

 

 

そしてもうひとつ出会ったのがタイトルにもした「自分を壊すことを楽しむ」という言葉。今までは「自分であること/自分自身であること」が全てでしたが今の私は「自分を壊すことでまた新しい自分になることすらも自分自身」だと思えるから、やっぱり今のこの感覚は私にとっては必要なんだと思ってます。

 

 

【自分らしく、自分らしい自分自身を、壊す】これに気付いてロビンに話したら「ロックンロールだねぇ」と言われました。

 

 

ロックンロール。Rock&Roll。それは岩が転がり落ちていく時に周りを砕きながら/そして自分自身も砕けながら、時には周りを巻き込んで雪だるまみたいに大きくなったり、転がるうちに角が取れて丸みを帯びたりして自身も周りをも変えていく様。そんな風にして音楽の概念や精神性を壊して壊して作ってきた先人のミュージシャン達の在り方。

 

 

今、この時代において、世界の片隅でちっぽけな私はまた更にもう一段階、私自身を壊して作り直して、時には皆さんを巻き込んで歌って笑っていくのかな、いけたらいいなって。実力がないなら慢心せずにただ自分が納得するまで淡々とそれを追うだけ。自信ならある。やれるはず。「今無い能力」は「今は持ってない」けど大丈夫、私なら手に入れられる。私の音も言葉も届くはず。届かないことに屈しないし慢心もしない。届かないなら届けるだけだ。そんなふうに今は、真っ直ぐに思えています。

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宇野ひろみさんがおっしゃってました。「空(クウ)の感覚なんてあってもなくてもどっちでもいい」って。本当にそう思う。あったら身軽にはなれる。それは数学の公式を全て覚えていれば自力であらゆる応用問題が解けるみたいな身軽さだと思ってます。でもこの感覚がなくったって人生に立ちはだかる問題は解けると思うんです。その都度ゆっくりじっくり自分に嘘さえつかないで/素直に/ありのままに自分を求めていれば、ね。答えは自分の中にあるから。

 

 

4月頭に生まれ変わって実はまだ3ヶ月。また大きく、本当に大きく成長できました。おめでとう、私。ありがとう、蟹座の新月。今月末の本当の誕生日までに自分がどうなっていくのか楽しみです。こんなにも穏やかに。音も言葉も思想も哲学も美学も今まで「伝えたい」が根底にあって【前に前に飛ばそう】と思っていた分【どう?どう?ほら!どうよ!】と思って押し付けて歌っていた分、私の中の精神的なモノがいい意味で変わった今、それらがどんなふうに変わるのかも楽しみです。こんなにも穏やかに。

 

 

自由に自分のままに生きる、いいと思います。素敵。むしろ全ての人がそうであって欲しい。でもふと自戒として持っていたいのは【自分がハッピーである】の上に【誰か「も」ハッピーであるか】という問い。どちらに偏り過ぎてもきっと気持ち悪くてみんなそれぞれベストバランスがあるんだと思う。んで、そういうバランスがわかってきたらまたそれがあなたの素敵な匂いになって/言葉になって/表現になって、あたたかさに/優しさになるのかなってそんなふうに思ってます。

 

 

慢心せず過信せず謙虚に優しく在りたい。

 

 

「ライブやって」「会いたい」って声を頂いています。本当に嬉しい。年内にやりますよ、楽しみにしてて◎私はまた0から歌います。そのためにステージに戻ります。その日によりたくさんの人に/あなたに会えたら嬉しい。2016年後半まだまだ素敵な時間になりそうです。そして皆さんのそれもそうでありますように。

 

 

読んでくれてありがとう◎