女王でありアーティストであり、でも。

こんばんは、さちよです。

昨日は上野理恵さんと占星術の先生のもとへ行って来ました◎

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年運を見てもらったんだけど誕生日が来る7月まではとにかく「感性を磨きなさい」とのこと。

 

 

「あなたは女王様(獅子座)でアーティスト(水星)の人なんだからテンション下げちゃだめ!

気分がいいことだけしておきなさい。

今はとりあえず感性を磨きなさい。

アウトプットしなさい。

テンションを下げることは全て!

あなたの感性を鈍らせるからやめなさい!」

と叱られました。

(愛をもって叱られるってあんまりされないからいつも勇気付けられるしちょっと泣ける。)



あ、あと先生曰く「新しいアーティストの時代は来る」と仰ってましたよ。

だからアーティストのみんな、がんばろ。

新しい時代来るって。

自分の志を忘れずに。

自分の夢を忘れずに。

今あるシーンをベースになんてちっぽけなこと考えないで先へ。

今の自分の信念を貫きながらも、時に恐れを持たずに自分を壊せることにすら勇気を持ち、だけど譲れないものは絶対譲らない。

そのバランスで最高のモノを作りたいですね。

そしてそんな人達と笑いたい。

 

 

私ね。

 

 

あらゆるものが飽和してる時代でこれから求められるものはどこまでも純粋なアーティスティックであること=どこまでもその人自身、その人でしかないこと=真にオリジナルであることだと思ってるの。

 

 

先生も仰ってたけれどみんなもう飽き飽きしてる。

無料で垂れ流しの地上波より

みんなお金を払ってBSやWOWOWを見てる。

無料であってもyoutubeで自分の見たいものを探してる。

受け身ではなく能動へ向かってる、どこまでも。

私達は探してるはずよ、本当に自分の人生の中で見たいもの/聴きたいもの/手に取りたいものを。

 

 

お金と作品の

お金と商品の

バランス。

その感覚を微細に掴み取りながら全てが流れる時代が来るよ。

 

 

天秤は傾き

傾きが極限にまで来ると逆へのチカラが働く。

そして全てゼロに戻る。

天秤がひっくり返るのはそろそろ。

その時「待ってました!」と飛び出せる準備を一緒に出来る人達と私は出会い、感性を磨き合いたい。

 

 

現実的に物事を考えるというのは

もはや「今ある現実の枠内で物事を構築する」ということではない。

今までの言葉のニュアンスとしてはそうだったかもしれないけど、これからは違う。

これからの「現実的に」というのは

「あくまで大きすぎる夢を見た上でそれを現象化していくチカラ」であり

「現実的に」という言葉は「夢」という一見、相反するイメージの上に成り立つものなんだ。

 

 

賢いねと形容されることは多くとも

私は自分のことを「自分の知っていることを知っているだけ」だという温度を忘れない。

その自分に対する危機管理みたいな/自制みたいな心が常に「私の頭は小さく/私の発想の外に世界がある」ということを教えてくれる。

 

 

「現実的に」を口にする時に「今ある思考や経験じゃ計り知れないことがあるんだ」ということを、だから「全ては可能である」を知識ではなくカラダに落とし込んでいる仲間と私は関わりたいの。

 

 

そしてそんな彼らはきっと、音楽/映像/絵/写真の中に自らの半生/経験/価値観を投影させるチカラ、つまり「私ハ何者デアルカ」を投影させるチカラを持つはず。

作品を見ただけでツタワルモノ。

「日本にはアートに対する審美眼がない」なんて嘘よ。

それがたとえ諸外国と比べて事実だったとしてもツタワルモノをカンジルチカラは私達「日本人」という民族は、長けているはずだと思ってる。

 

 

ツタワルモノをツタエルチカラ。

ツタワルモノをカンジルチカラ。

私達が熱を込めれば受け取りの波は広がる。

だから

熱を込めることをやめたくない。

それがアーティストであるってことだと思う。

たとえクリエイティブなことをしていなくても、社長でも飲食店でもそれは同じなはずよ。

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『自分の中から湧き出てきてる音楽と、寄せ集めの音楽は違うわけで、完全なオリジナルはなくても、オリジナリティは出せる。』

 『幸世さんの曲を聴いて、この子は自分の中から出てきてて才能がある。ある意味完成されてるとも感じたけど、ここから更に発展するなんて楽しみしかないやん。』

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 『あのライブは僕にとってとんでもないことが起こったのだなあって思ってるんよ』

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「さちよんの歌と一緒に生きてますよ」

 

 

コーヒーと煙草。

葛藤や希望と

かけられた言葉を喰べながら

 アーティストは頑張ってます。

アーティストは踏ん張り続けるのです。

 

 

最後に。

私ね星的に女王様でありアーティストであるけど同時に小さい女の子でもあるの。

本当の本当はねどこまでも自信がないの。

もう笑っちゃうくらいない。

そして口下手なんだって笑

偉そうにこんなことを書いていたって

偉そうに何かを話していたって

いざ自分のこと/自分の作品となると俄然自信なんてない。

 

 

私が人生において大事にしているのは自己納得で「納得出来る結果」が得られないことには私は納得出来ないのだそう。

納得出来てないうちに「すごいね」と形容されるのは正直苦手。

でも認めてもらいたいし評価されたいのだって本音。

死んでから認められるなんてイヤ。

輪廻転生なんて信じてないし/仮にあったとしても「幸世と名付けられたこのカラダ」があるこの人生の中で私は日の目を見たい。

 

 

そんな、一見外界に頼った承認と自己納得の狭間で私は揺れ続けるのだと思う。

だからそんな時は私を叱ってくださいね。

 

 

「あなたは星に言葉と音を授けられた人。

いい加減に自信持たないと

さちぴょんのことなんか嫌いになっちゃうよ!」って。

(まあそれでも持てない自分がいるから今でもグズってるんだろうけど)

 

 

私が笑えるように

私は今この瞬間、納得し続けられるように紡ぐから私の背中を押し続けてね。

さちぴょんは弱っちぃ。

本当にどこまでも。

転んでもただでは起きなくても

出来たら転びたくないし

転んだら泣いてるわけ。

擦りむいたひざはやっぱり痛い。

 

 

だけどそれでも

夢を見る。

さちぴょんは夢を見て

SLはそれを叶える。

さちぴょんはそんな友達が欲しいから

SLは探しに行く。

そして待ちきれずに信じきれなくなった夜にはさちぴょんは泣く。

それの繰り返しなんだろうな。

 

 

夢を見続け

夢を創ろう。

 

ジャンケンでもしたらいいんじゃないですか?

論破。

相手の理論/切論を破ること。

議論などで相手を言い負かすこと。

 

 

今日メンターに会ってたのですが

「さっちゃんは、エモーショナルを土台にしてるけど言葉をロジカルに組み立てられる子なんだよ」と言われて、「ふむ、とてもわかりやすい」と思ったのと同時に

 

 

あらゆるロジカルな相手の言い分に対し最大の論破法は

「え、だってやだもん」

「え、やりたくないもん」

「え、やりたいんだもん」

などでしかないなと改めて思いました。

 

 

こんばんは杢です。

(電車で隣に座るDフジオカ似の男子からバニラの匂いがします。いい日です。)

 

 

メンターはお仕事柄、バリバリギチギチのIT頭脳系の方と話すことがあるらしく。

 

 

彼らのコミュニケーションの仕方はもう理論、理論、理論!理詰め、理詰め、理詰め!であらゆる可能性を検証し、消していくというスタンスらしく、時にメンター自身もキツい物言いや荒い言葉表現になることもあるとのこと。

(普段はとてもゆるゆるな喋り方をする方です。)

 

 

だけどそんな彼ら/コンピューター頭脳系にはエモーショナルな部分=感情的な部分、はないので言い方がキツかろうが、表現が荒かろうが「それが人格を否定された」なんていう発想には陥らないどころか「否定されれば検証する事案が減った」くらいにしか考えていないとのこと。

 

 

逆に

 

 

エモーショナルに(あえて感情的とは書きません)コミュニケーションを取る人間は非常にフィーリングに任せていて、彼らは逆にいい方がきつかったり言葉尻が荒いと「人格否定された!」になるらしい。

 

 

そして私と言えば先述したように

「エモーショナルを土台にした理論派」とのこと。

やたら頭ばっかり忙しい/うるさい人、と評してくれてもいいし

ロジカルに言葉を構築できる人、と評してくれてもいいし

中途半端と評してくれてもいいし

一粒で2度美味しいと評してくれてもいいけど

ゆーたら真ん中ゾーンね。

 

 

でね、そんなエモーショナルコミュニケーションでありながら、時にマシンガンな理詰めトークを繰り出す私なのですけど、時々思うのです。

どんなに理詰めしたとしても

変な話、どんなに相手の次の発言を塞げても

私が一発で相手の意向をとりあえず丸呑みしないといけなくなる魔法の言葉。

 

 

それが

「え!やだー」とか

「え!したくなーい」とかです。

 

 

あ、ちなみに私はこのボールを投げられたら

そのボールを受け取った上で別案を考える人です。

やりたくないてゆーならやらんでいいやん派やから。

 

 

だからもう

「やだ!やりたくない!」ってマジ最強。

そしてそれ以上の温度で

「やだ!やりたい!」なんかもう一撃で死ぬ。

 

 

やりたいてゆわれて

やりたくないてゆわれて

それをひっくり返すロジックなんて

私は持ち合わせてない。

(もちろんコミュニケーションの目的により多少異なるだろうけど仕事においても/あらゆる人間関係においても「やりたくない」と言われたら「そか!じゃあ次」と行くのが建設的やと思ってる派)

 

 

ただ世の中には

・本音がわかってない

のか

・優しさが裏目に出たパターン

なのかわからないけど

「やだ」と言ってくれない人が多い。

 

 

やだって言われたらどうしようもないやん笑。

だって嫌なんだもん。

「むむむー!そうかぁあああ」しかない。

 

 

ただまあ

「やだ!」には

「やだ!」と答えることもできて 

そうなるともうただの押し問答になるから

その時はジャンケンでもしたらいいんじゃないかなと思ってるけど。(突然適当)

 

 

昔チラリと見たドラマでのこのセリフが好きだ。

主人公が嘘をつかれていたのだけどなんかの拍子でその嘘に気付く。

その場に居合わせたほかの登場人物が

「嘘つかれてたんですよ?!怒らないんですか?!酷いですよ!」って言いよるんだけど主人公は

「嘘ついたってことは隠したかったってことで。

言いたくなかったってことで。

だから俺はその気持ちを汲みたい」

って返すの。

 

 

嘘つかれた!ひどい!

わかる。

でも嘘ついた相手の奥の温度に思いをはせる気持ちは持っておきたいね。

やだって言ってよ。

わかる。

でもやだって言わなかった相手の奥の温度に思いをはせる気持ちは持っておきたいね。

 

 

まあでも

思いをはせるだけで

呑み込まなくていいと思うけど。

嘘つかなくていいよー、とか

やだって言っていいよー、とか

いやむしろ

嘘つかないでー、とか

やだって言ってー、とか

そーゆーのでよくて。

 

 

加納未樹が書いてた。

「しんぷるでかんたんなこと。

みんな

しんぷるでかんたんなことしかさけんでない。」

あえて全てを平仮名で書くところに優しさというセンスがにじみ出るよ。

でもほんまそう。

世の中はシンプル。

全てのことは超絶シンプル。

 

 

やだって

言って

いいと思います。

だって

やなんだもん。

 

 

それはもう

おにぎりおいしい

くらいに

しんぷるなことなんだよな。

 

 

だから言っていい、むしろ言ったほうがいい。

やりたくない。

そして

やりたい。

(私も訓練中やけど)

 

 

それでもやっぱり押し問答になるなら

最後はジャンケンでもしたらいいんじゃないかなと思ってます。

なんの話だっけね、

あ、ジャンケンの話か。

些細な生き方のセンスの差

相手に「嫌われないように」振る舞うんじゃなくて

 

 

 

相手に「もっと好かれるように」振る舞うことのほうが

 

 

よっぽど建設的だと思ってます。

 

 

恐れじゃなくて愛を。

自身を守る盾じゃなくてあなたを想ってるという一輪の花を。

渡せるか否かが人を愛せるセンス、転じて自分を愛せるセンスなのだろう。

 

 

嫌いにならないで

より

もっと好きになって!

と言いたいですね◎