ジャンケンでもしたらいいんじゃないですか?

論破。

相手の理論/切論を破ること。

議論などで相手を言い負かすこと。

 

 

今日メンターに会ってたのですが

「さっちゃんは、エモーショナルを土台にしてるけど言葉をロジカルに組み立てられる子なんだよ」と言われて、「ふむ、とてもわかりやすい」と思ったのと同時に

 

 

あらゆるロジカルな相手の言い分に対し最大の論破法は

「え、だってやだもん」

「え、やりたくないもん」

「え、やりたいんだもん」

などでしかないなと改めて思いました。

 

 

こんばんは杢です。

(電車で隣に座るDフジオカ似の男子からバニラの匂いがします。いい日です。)

 

 

メンターはお仕事柄、バリバリギチギチのIT頭脳系の方と話すことがあるらしく。

 

 

彼らのコミュニケーションの仕方はもう理論、理論、理論!理詰め、理詰め、理詰め!であらゆる可能性を検証し、消していくというスタンスらしく、時にメンター自身もキツい物言いや荒い言葉表現になることもあるとのこと。

(普段はとてもゆるゆるな喋り方をする方です。)

 

 

だけどそんな彼ら/コンピューター頭脳系にはエモーショナルな部分=感情的な部分、はないので言い方がキツかろうが、表現が荒かろうが「それが人格を否定された」なんていう発想には陥らないどころか「否定されれば検証する事案が減った」くらいにしか考えていないとのこと。

 

 

逆に

 

 

エモーショナルに(あえて感情的とは書きません)コミュニケーションを取る人間は非常にフィーリングに任せていて、彼らは逆にいい方がきつかったり言葉尻が荒いと「人格否定された!」になるらしい。

 

 

そして私と言えば先述したように

「エモーショナルを土台にした理論派」とのこと。

やたら頭ばっかり忙しい/うるさい人、と評してくれてもいいし

ロジカルに言葉を構築できる人、と評してくれてもいいし

中途半端と評してくれてもいいし

一粒で2度美味しいと評してくれてもいいけど

ゆーたら真ん中ゾーンね。

 

 

でね、そんなエモーショナルコミュニケーションでありながら、時にマシンガンな理詰めトークを繰り出す私なのですけど、時々思うのです。

どんなに理詰めしたとしても

変な話、どんなに相手の次の発言を塞げても

私が一発で相手の意向をとりあえず丸呑みしないといけなくなる魔法の言葉。

 

 

それが

「え!やだー」とか

「え!したくなーい」とかです。

 

 

あ、ちなみに私はこのボールを投げられたら

そのボールを受け取った上で別案を考える人です。

やりたくないてゆーならやらんでいいやん派やから。

 

 

だからもう

「やだ!やりたくない!」ってマジ最強。

そしてそれ以上の温度で

「やだ!やりたい!」なんかもう一撃で死ぬ。

 

 

やりたいてゆわれて

やりたくないてゆわれて

それをひっくり返すロジックなんて

私は持ち合わせてない。

(もちろんコミュニケーションの目的により多少異なるだろうけど仕事においても/あらゆる人間関係においても「やりたくない」と言われたら「そか!じゃあ次」と行くのが建設的やと思ってる派)

 

 

ただ世の中には

・本音がわかってない

のか

・優しさが裏目に出たパターン

なのかわからないけど

「やだ」と言ってくれない人が多い。

 

 

やだって言われたらどうしようもないやん笑。

だって嫌なんだもん。

「むむむー!そうかぁあああ」しかない。

 

 

ただまあ

「やだ!」には

「やだ!」と答えることもできて 

そうなるともうただの押し問答になるから

その時はジャンケンでもしたらいいんじゃないかなと思ってるけど。(突然適当)

 

 

昔チラリと見たドラマでのこのセリフが好きだ。

主人公が嘘をつかれていたのだけどなんかの拍子でその嘘に気付く。

その場に居合わせたほかの登場人物が

「嘘つかれてたんですよ?!怒らないんですか?!酷いですよ!」って言いよるんだけど主人公は

「嘘ついたってことは隠したかったってことで。

言いたくなかったってことで。

だから俺はその気持ちを汲みたい」

って返すの。

 

 

嘘つかれた!ひどい!

わかる。

でも嘘ついた相手の奥の温度に思いをはせる気持ちは持っておきたいね。

やだって言ってよ。

わかる。

でもやだって言わなかった相手の奥の温度に思いをはせる気持ちは持っておきたいね。

 

 

まあでも

思いをはせるだけで

呑み込まなくていいと思うけど。

嘘つかなくていいよー、とか

やだって言っていいよー、とか

いやむしろ

嘘つかないでー、とか

やだって言ってー、とか

そーゆーのでよくて。

 

 

加納未樹が書いてた。

「しんぷるでかんたんなこと。

みんな

しんぷるでかんたんなことしかさけんでない。」

あえて全てを平仮名で書くところに優しさというセンスがにじみ出るよ。

でもほんまそう。

世の中はシンプル。

全てのことは超絶シンプル。

 

 

やだって

言って

いいと思います。

だって

やなんだもん。

 

 

それはもう

おにぎりおいしい

くらいに

しんぷるなことなんだよな。

 

 

だから言っていい、むしろ言ったほうがいい。

やりたくない。

そして

やりたい。

(私も訓練中やけど)

 

 

それでもやっぱり押し問答になるなら

最後はジャンケンでもしたらいいんじゃないかなと思ってます。

なんの話だっけね、

あ、ジャンケンの話か。

些細な生き方のセンスの差

相手に「嫌われないように」振る舞うんじゃなくて

 

 

 

相手に「もっと好かれるように」振る舞うことのほうが

 

 

よっぽど建設的だと思ってます。

 

 

恐れじゃなくて愛を。

自身を守る盾じゃなくてあなたを想ってるという一輪の花を。

渡せるか否かが人を愛せるセンス、転じて自分を愛せるセンスなのだろう。

 

 

嫌いにならないで

より

もっと好きになって!

と言いたいですね◎

アーティストは喰えないという幻

「アーティストは喰えない」んじゃなくて

 

 

「アーティストやってる【私/俺】が食えてない」だけ。

 

 

視点をマクロにすればするほど外界にそれらしい理由を見つけることはできる。

 

 

やれ日本には審美眼がないだとか

やれ日本にはアートに対する習慣やら器がないだとか

資本主義経済において富裕層が富を独占しているからだとか

アメリカでのライブハウスはノルマ課さないのに〜だとか

 

 

 

わかる。

きっとある意味それも一理ないことはないのだろう。

でもそれは

あなたが/誰かが「それを理由として取り入れた」だけで真実じゃない。

あなたが/誰かがそういう世界観で生きてるだけ。

 

 

あなたが「ほんまや」と思いそのメガネで世界見てるだけでしょ。

 

 

ちなみに私にとってはそれらが事実であろうがなかろうが関係ない。

審美眼がないって言われてもあるってどういう状態?と思うし

習慣やら器がないと言われてもよくわかんないし

資本主義におけるなんたらに関してはもう難しすぎて何言ってるかわかんないし

アメリカのライブハウスはノルマとらないとかいうならノルマとられないハコでやれば?だし、なんならノルマとられない技術ある?人気は?どっちもあるなら交渉したら?と思う。

てゆかじゃあアメリカ行けよとさえ思う。

ここは日本。

日本のシステム変えようという意気込みに夢を持つのは素晴らしくともグダグダ管を巻くのは全然お門違い。

建設的に行こうぜ。

 

 

外界に理由探して

それっぽい理由探して

そうだ!って言うのは

あなたの世界観でしかないのになー。

 

 

だから

アーティストは喰えないは幻。

ラーメン屋は喰えないも幻。

今更ヒーラーは喰えないも幻。

アーティストやってる

ラーメン屋やってる

ヒーラーやってる

俺or私が喰えてないてだけ。

終了。

 

 

外界関係なく

「私はこれで喰おう/生きよう」と思うところからしかなんも生まれないはず。

アドラー三角錐

「可哀想な私/悪かったあの人」の後ろに隠れてる第三面。

 

 

「これからどうするか」

 

 

これからどうするか、しか僕らにはない。

世界は容易く変わる。

アーティストが喰えないなんてのはただの幻。

インディーズミュージシャンが喰えないなんてのもただの幻。

 

 

外界はもちろん

なんなら自分達の中にだって

それっぽい答えしかない場合もある。

でもそれらは「それっぽい」だけだから。

難しいことを理由に挙げれば「仕方がない」と諦めて文句言うだけですむから、てだけでしょう。

 

 

最後の最後は

「じゃあ私は/俺はどーしよう」しか残らないはず。

本当の本当に本気の人なら

愚痴を言う暇さえ【本来は】ないはずだわ。

それをわかってるかわかってないかで切り替えは早くなる。

 

 

私たちは死ぬのよ。

グズり【続ける】、そんな暇どこにあるっていうの?

くらいの気持ちでいたいわけ。私はね。

 

 

そして多次元的に物事を捉えられる人ならこれがアーティストやインディーズミュージャンの話ってだけに留まらず「自分のことだ」として噛み砕くことが出来るはず。

 

 

これは「アーティストは喰えない」という表面的な外界の言葉/解釈ではなくてあらゆる人に共通することだと思ってる。

 

 

外界の理由に愚痴ってもいいけど

あなたは死ぬ。

内なる自分の未熟さを愚痴ってもいいけど

あなたは死ぬ。

 

 

それを本当に【腑に落としている】ことで僕らの行動は変わり、僕らの世界は変わるはずよ。