誰にも私を愛する権利を譲らない。

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夜中ベッドに入って

「あ、ポテチ食べたい」と思ってしまったなら

「いやいや、こんな寒空の中、シャワーも浴びてパジャマも着てるのにそんなバカな」とめんどくさかったとしても

最近がダウナーな日々であるなら尚のこと

その小さな声は無視しないほうがいい。

 

 

そんなことをわかっていた私は

「ああ、くそう、めんどくせ」と思いながら

コートを羽織って夜道に出た。

 

 

 

 

夜道を行きながら頬にあたる冷たい夜風が心地よかったもんだから「やっぱ出てきて正解だったわ」と自分で自分を褒める。

 

 

褒めながら「死にたいと思う人の死にたいは何よりもきっと本当は生きたいだろうけど、それ以外に復讐の意味もあるだろうな」とふと頭をよぎった。

 

 

私がSOSを書いた時もそうだった。

「いつか来る黒の日に泣いてもらっても遅いのに」

というあくまでメインじゃないコーラスの歌詞は

「葬式で後悔して泣いても遅いんだからな、この糞野郎共めが。一生私の死を後悔しながら謝りながら謝りながら謝りながら生きろ。死んだように生きろ。後悔しながらもっと話を聞いてあげればよかったと、もっとそばにいてあげればよかったと後悔しながら生きろ。優しくなくて最低で最悪なお前ら糞共に復讐してやる。」

という気持ちもあっただろうなと思いを馳せる。

 

 

でもなんで復讐したいんだろう?

何を復讐したいんだろう?と思い返すと

私を愛してくれなかったことを

私をちゃんと愛してくれなかったことを

私を私のわかる形で

私の思う通りに愛してくれなかったことを

復讐したいのか、と

ここまで思いついてふと

「勝手かw」と吹き出す。

頬に当たる夜風が気持ちいい。

 

 

 

そしてここで

驚愕な言葉が降ってきて

私は今とても清々しい気持ちで夜中にポテチを食べてるわけなんだけれども。

 

 

 

 

 

 

 

ああ。

あれっ?

そうか。

ああ、そうか、なんだ。

私のことを愛する権利は他の誰にもないのだ。

 

 

 

 

 

そうか。

そうなのかもしれない。

私のことを愛する権利など

本当の本当は誰にも譲ってはいけないのかもしれない。

 

 

 

よく啓発やスピ系で聞く

「あなたは愛されているよ」も

「あなたがあなたを一番愛してあげてね」も

生温い。

てかそんなことわかってたし。

なんだかんだ愛されてることもわかってたけど

私にとってはそんな生温い言葉じゃダメだったのだ。

 

 

 

 

 

私を一番に愛する権利は

最愛の人であっても

譲ってはいけない。

 

 

 

 

 

私を一番に愛せるのは私のみ。

私を真に愛せるのは私のみ。

私を絶対的に愛せるのは私のみ。

その他の人は私をそのように愛することは出来ない。

その権利は譲ってはいけない。

 

 

 

 

私達は人間で弱くて寂しがりやだ。

少なくとも私はそうだ。

だからつい甘えたくなる。

愛して欲しいと思ってしまう。

それ自体はきっと悪でも偽でもない。

ただ

 

 

 

 

絶望的に

そして

同時に絶対希望的に

私を真に愛せるのは私しかいないのだ。

いや、

私を真に愛する権利など他の誰にも譲ってはいけないのだ。

 

 

 

 

あなたが私を愛したい気持ちは有り難いですが

私を愛せるのは

私を真に愛せるのは

私です。ええ。

 

 

 

 

 

 

私を愛する権利は

母にも/友人にも/最愛の人にも譲ってはいけない。

私を真に愛することが出来るのはお前ら如きではない!と

私を真に、絶対的に愛せるその権利を持つのは私以外ない!と

そういうことなのかもしれない。

「自分が自分を愛する」とは

そういう絶望的な孤独であり

でも同時発生する絶対的な希望であり安心なのじゃないだろうか。

 

 

 

自分を愛せるのは自分だけ、も

あなたはあなたが愛してあげて、も

生温い。

生温すぎて、既視感がありすぎて、反吐が出そうなくらい生温い。

この言葉達のその芯にあるのは

もっと確固たる一見殺伐としたものじゃないだろうか。

 

 

絶対的な孤独。

どんなに愛する人であろうと同じ目を持てず、同じ脳を持てない僕らはどこまでも孤独でしかないけれど

「全ての人が絶対的に孤独である」

という誰しもに同じ状況が

永遠に安心できる一体感となることと同義なように全ては自分の内にのみ完結させられることでしかない。

 

 

つまり

「他の誰か」に「愛してもらおう」なんて

何を権利譲っちゃってんねん、この俺の糞野郎なんじゃないのか。

 

 

 

 

もちろん。

 

 

 

 

この言葉を実際口にした時、微塵でも諦めの温度が乗るようなら誰かにはフィットしない表現なんだと思う。

少なくとも私にはこの言葉に諦めはないからだ。

清々しい絶望と絶対的安心感のセットなら感じるけど

寂しいも、悲しいも、死にたい、もない。

だって最初から

私を愛せる権利を持つ相手は第一に私自身しか選んではいけなかったのだから。

内完結。

 

 

 

「君が好き」

「わあ、ありがとうー。

でも私のほうが私のこと好きだし愛してるし

愛せるわ。」以上。

 

 

その相手がいなくなったら一瞬の寂しさはあるだろうけどでもそれ以上でもそれ以下でもない。

だって私を一番愛せる人はここに永遠に存在しているのだから。

寂しいけど私はいる。

一番に愛してくれる人はここにいる。

永遠に0にはならない。

なんなら愛してくれる人ベスト20位くらいまで自分。

 

 

 

 

一番に愛してくれる人は

私たち自身でいなければならない。

 

 

 

 

 

そして多分。

 

 

 

思考は現実化する。

自分内のバランスが現実として現れる。

そんなまるでおとぎ話のようなファンタジックなセンテンスが仮に「事実」なんだとしたら

きっと

「私を真に絶対的に永遠に愛せるのは私よ。」

「自分を徹底的に愛し守り様々な世界へ連れて行く」覚悟が出来たなら

 

 

 

周りには今以上に

徹底的に私を守り私を愛し

様々な世界へ私を連れていってくれる人達が集まる

ということになる。

 

 

 

まあここから先はこれから実験だけど。

 

 

 

「あなたがあなたを愛してあげてね」

なんて生温い。

そんなヤワな話じゃない。

前述したように僕ら人間は寂しがりやで弱虫でかまってちゃんでクレクレ星人だ。

気をつけることは出来ても本質的にそういうかけらは誰しもが持っている。

だから欲しいのだ。

愛して欲しいのだ。

そばにいて欲しいし

話を聞いて欲しいのだ。

 

 

そんな中で

「自分が自分を愛する」

なんていうのは簡単な話じゃないのだ。

もっと私的には

何度も言うけど

絶対的孤独であり

絶対的安心という

矛盾した2つのセットなのだ。

 

 

みんなひとりぼっちです。

でもみんなひとりぼっち(なのは同じ)だから

みんなはホントはひとりぼっちじゃありません。

というパラドックスだ。

 

 

 

誰にも

私を絶対的に永遠に愛する権利を譲らない。

誰にも

あなたを絶対的に永遠に愛する権利を譲らない。

それくらいの意気込みで初めて僕らは

自分への愛を覚悟出来るのかもしれない。

 

 

 

愛して下さい。

愛を下さい。

と泣くことも無くなるかもしれない。

だって

その権利は

最初から誰にもない。

絶望だ、誰にもない!!!

でも

希望だ、私にはある!私の仕事なんだ!

そういうことなのだ多分。

すんげー孤独作業で

とんでもない安心感だ。

だって他に誰もいなくなっても私はいるんだから。

私を愛せるたった1人は永遠に存在するんだから。

なんてこったい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなことを思いついて言葉にして書きなぐった今、もうポテチがなくなって。

ほらね。

夜中に「ポテチ食べたい」と言ってくれた声を無視しちゃいけないのだ。

そういうことをしてると

太るからとか

寒いからとか

めんどくさいからとか

言ってると

拗れるのだ。

あなたの中がこじれて

私の中がこじれて

そして

それは目の前に現れるのだ。

ポテチ万歳。

 

 

 

 

 

 

最高の笑顔を見せてあげるのは

誰よりも自分にだ。

最高の笑顔を見せてもらうために

誰よりも自分にポテチを買ってあげて欲しい。

たとえシャワー後の寒空の夜中でも、ね。

 

 

 

 

 

 

 

※幾度か読み返し、あまりに少し乱暴な表現だったかしらと思ったのですけれど

思いついたまま書いた原文で公開することにしました。

 

 

その意図とは本文内でも書いたように

「自分が自分を愛する」という言葉は

「愛」という言葉が含まれる分少し「優しい」ようなニュアンスを与えがちに私には感じられるのですが

この夜私に降ってきた感覚は何度も何度も書いた「絶対的孤独」と隣り合わせの「永遠の希望と安心」であり

「自分が自分を愛する」のセンテンスは

思った以上にとても乱暴で殺伐とした孤独と隣り合わせな作業なような気がしたからです。

思った以上に覚悟がいるということです。

ヤワな話じゃないんだなと思ったからです。

本文としてはそういう猛々しさみたいなものを残したかったのでそのままにしました。

 

 

よくわからなかったらとりあえずお茶でもしに行きましょう。

愛を込めて。

あなたを一番に愛する権利を持てない私より。

 

 

だけれどあなたのご両親やパートナーやご友人含めると大体まあ6番めくらいにはあなたを愛しているであろう私より。